Stars Road

北斗七星は、天と地と人をつなぐ

30.於大の方と弟橘姫、2人の姫と第3チャクラ

【2018.12.8の記事】

 

こちらの記事の続きです。

 

stars-road.hatenablog.com

 

前回、第1チャクラの場所が羽豆神社とわかり、大きく前進。

 

地図上でここまでにわかった場所をつなげると、こんな感じになりました。

 

以前、第2チャクラ、第3チャクラの場所を仮置きしていたけど、

やっぱり違うな、ということで消してみた。

 

シンプルでいいわ。

 

 

さて、残すは第2チャクラと第3チャクラの2つ。

あとちょっとだ。

 

この先も空海の残した「頭と尾を探せ!」のヒントを念頭に置きつつ探します。

 

地図上だと、このあたり(緑の点線内)にあるはずなんだよね〜。

 

 

さて、どこにあるのかな?

 

 

 

 

 

 

今回は何も手がかりがないし、目星い場所も思いつかないし、、

すごく難しくて。

 

そもそも隠されている場所なんだから、何かきっかけがないと、

そう簡単に見つかるとも思えない。

 

どうしたら見つかるんだろう。。

 

 

 

そう思っていたら、1枚のパンフレットが目に入った。

 

 

今年の夏、名古屋市博物館の特別展示「海たび」を見に行った時、

 

何やらどうしても気になってもらってきたこちら↓のパンフレットは

 

愛知県東浦町の観光ガイドブック

 

右がそのパンフレットで、愛知県東浦町の観光ガイドブック

左は海たび公式本

 

 

東浦町のガイドブック表紙のお姫様キャラは「於大(おだい)の方」がモデルの

「おだいちゃん」

 

 

何が気になったって、この於大の方が気になったんだよね。

 

 

 

於大の方」は「徳川家康」の生母で、東浦町出身なんだそう。

このガイドブックを手に取るまで知らなかった。

 

 

於大の方 おだいちゃん【東浦町観光協会】愛知県東浦町より抜粋

 

各地で武士が天下を目指し、自身の生き残りをかけ、争った戦国時代。

於大は享禄元年(1528)、東浦の緒川城四代目城主水野忠政の娘として生をうけました。

この頃東海地方では、東に駿河守護今川氏、北に尾張の守護勢力の斯波氏と織田氏がひかえ、その間の三河知多半島には松平・水野・佐治・戸田・大河内氏らの新興勢力が台頭し、今川方か斯波・織田方のいずれかについて、攻防を繰り返していました。


緒川・大高など知多半島北部と三河刈谷を支配していた水野忠政も、今川方の岡崎の松平氏と手を結ぶため、於大を松平広忠のもとへ嫁がせました。

しかし、広忠との間に家康が誕生して間もなく、今度は忠政の跡を継いだ兄 信元が織田方についたため、松平氏と離縁することになりました。


その後は、再婚先の坂部の久松氏のもとで暮らし、さらに息子家康が関ヶ原の戦いで勝利し、天下統一を進めるなかで、家康の母としても力を尽くしました家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開く1年前の慶長7年(1602)、京都伏見城で最期を迎え、75歳の生涯を閉じました。

 

その時々の情勢に左右されながらも、一生を生き抜いた於大は、

まさに戦国の世界に生きた女性でした。

 

 

生まれた家、場所、時代に翻弄され続けた人。

 

於大の方の人生は戦国時代の女性の悲哀が詰まっていて、読んでいて胸が詰まる。

 

 

 

 

 

 

 

於大の方がどうしても気になる。

 

気になるということは何かあるはず。直感を信じよう。

 

ということで、於大の方について調べてみた。

 

 

 

於大の方は、水野氏の娘で緒川城(東浦町)で生まれ、14歳で松平氏と政略結婚、

後の徳川家康を産むも、実家が今川・松平→織田へ乗り換えたため、

離縁して子供(家康)と離れ離れになる。

 

実家に戻るも、またしても政略結婚で阿久比(あぐい)の坂部の久松氏と再婚。

 

再婚先では子供3人に恵まれ安寧なひと時かと思いきや、その間、家康が今川の人質として駿府へ行く途中に織田側に奪われて、囚われの身になってしまう。。

 

このとき、家康が囚われていたのが、

熱田神宮のすぐそば「加藤図書助(かとうずしょのすけ)」の屋敷だった。

 

 

 

 

この「加藤図書助(かとうずしょのすけ)」の屋敷があった場所の地名、

 

これがなんと「羽城(はじょ)」と呼ばれた場所だそうで。。

 

 

まさかの「羽」がつく地名!!

 

羽=蛇だとすれば「蛇城」ということだ。

 

何かがつながってきた感じ。

 

ここを掘っていけば何かがわかるかも。。

 

 

↓加藤図書助の屋敷跡は熱田神宮の南、地下鉄伝馬町駅のすぐ近く。

 

↓当時の地図。確かに「羽城之内」とある。

*写真はこちらよりお借りしました。

 

 

そして、地図で見ると、熱田神宮と加藤図書助の屋敷はこんなに近い。

この距離だもの、幼い家康はきっと熱田神宮にお参りしていたにちがいない。

 

熱田神宮徳川家康、まさかのつながりが見えてきた。

 

 

 

 

 

 

熱田神宮戦国大名といえば織田信長で、

桶狭間の戦いで戦勝祈願し、勝ったお礼に「信長塀」を寄進している。

 

熱田神宮の本殿近くにある「信長塀」

織田氏、また出てきましたね。最近、よく出るなあ。

 

 

徳川家康織田信長ときたら、もう1人の3英傑豊臣秀吉はどうだったのか

気になるところ。。。

 

そもそも「豊臣秀吉」も尾張出身で(しかも名古屋市内)

 

秀吉の母は幼い秀吉を連れて、熱田神宮の境外摂社「高蔵結御子(たかくらむすびみこ)神社」へ参拝していたという話を聞いたことがある。

 

だからかどうかはわからないが、秀吉は稲荷信者だったらしい。

 

↓ちょいちょい出てくる「高蔵結御子神社」

この場所の厳格な雰囲気・・何度アップしてもドキドキする。

そして、稲荷社はとても写真に撮れる感じじゃなかったので、写真がないw

 

 

看板には、本殿は「織田信長」による造営とあった。

 

織田信長熱田神宮だけでなく、ここも大事にしていたんだ。

この神社、やはり何かありますな。。

 

 

そして、熱田神宮と時代の覇者との関係は

徳川家康織田信長豊臣秀吉にとどまらず・・

 

なんとなんと、源頼朝熱田神宮のすぐそばで生まれたそう。

 

源頼朝生誕地の「誓願寺」。熱田神宮の西隣りにある。

*写真はWikipediaよりお借りしました。

 

 

源頼朝のお母さんは熱田神宮の大宮司の娘「由良御前(ゆらごぜん)」

出産時に里帰りしていたことから、源頼朝熱田神宮そばの屋敷で生まれた。

 

その屋敷跡が今の誓願寺にあたる。

 

 

 

 

 

 

尾張の地に描かれた北斗七星+1星を探していたら、熱田神宮を通して

武士の棟梁や戦国大名につながった。。。

 

これって、たまたまなんだろうか?

 

それとも・・熱田神宮につながりのある人たちだからこそ、

動乱の世界で勝ち残ったんだろうか?

 

大地に描かれた星の力を知り、使う方法を知っていたとしたら、

もしかしたら後者なのかも知れない。

 

例えば、徳川家康は羽城に囚われていた時に熱田神宮にまつわる「何か」を

知ったのかも知れないし。。。

 

 

それにしても、ここにきての「源頼朝」とはw

 

これも何かにつながるの、かな?

 

 

 

 

 

 

 

話しそれちゃいました(いつものことだけどw)

 

 

 

ここから「於大の方」に戻ります。

 

 

於大の方について調べていたら於大の方の実家」について

おもしろいことがわかった。

 

 

於大の方は、生まれは「緒川城」なんだけど、最初の結婚を離縁した後は、

刈谷城に戻ってきたそう。

 

実家の水野氏は「緒川城」と「刈谷城」を居城にしてて、

この2つのお城はすごく近くに位置していた。

 

↓2つの城の位置関係

川を挟んで目と鼻の先に位置する

 

 

 

で、この刈谷城、当時は「亀城」と呼ばれていたらしくて、

今はお城はなくなり「亀城(きじょう)公園」として面影が残る。

 

この公園に、すっごく昔に一度だけ行ったことがある。

桜の散りかけの頃だったけど花見の人や屋台でけっこう賑やかだったのが思い出。

 

 

 

そして、緒川城は、お城のあったあたりに「城」にまつわる

地名が残ってるんだけど、その中に「羽城」という地名があった。

 

↓緒川城址の南にお城にまつわる地名「古城」「羽城」が残る

地図左の「於大公園」側にある「乾坤院(けんこんいん)」は水野氏の菩提寺

乾坤院の山号は「宇宙山」。(変わってるw)

緒川城からみて、乾(戌亥)=西北、坤(未申)=南西の方角の中間に位置したことが名前の由来。

「乾坤」が壮大な天地を意味するため、山号は「宇宙山」となったそう。

隣接して「宇宙稲荷大明神」も祀られている。

狐の嫁入りの民話はここが発祥。

変わった話しが多くて、ここも気になるわ。今は置いておくけど。

 

 

 

緒川城や刈谷城のあったあたりは、北斗七星+1星との位置関係で言えば

第3チャクラがありそうな場所だ。

 

↓地図上だとこのあたり。いい位置。

 

 

 

北斗七星の柄杓の部分を亀、柄の部分を蛇とするなら、

 

第3チャクラは亀と蛇が接する場所ということだ。

 

そこに、「亀城」「羽城」と呼ばれた城があった。

 

 

これって、このあたりに、探してる場所があるよ、

ということじゃないだろうか?

 

 

それに、家康の「羽城」とのシンクロもあるし。。

 

 

 

ここに何かがありそう!

 

ということで、

 

さらに緒川城のあったあたりや、於大の方について調べてみた。

 

すると、このあたりに「ヤマトタケル」にまつわる場所が残っていた。

 

それが、ここ「生路井(いくじい)」と呼ばれる井戸だ。

*写真はこちらよりお借りしました。

 

 東浦町観光協会HPより抜粋 <生路井(いくじい)とヤマトタケル> 

昔、日本武尊(ヤマトタケル)が東国征伐の途中、兵を連れて狩に出ました。

この辺りの里を通りかかった時、暑さで喉が渇き土地の者に井戸を訪ねましたがありませんでした。

困った尊が山の麓の崖の下の大きな岩の下が湿っているのを見つけ、弓のはずをエイとばかりに突き立てると、そこから冷たい清水がこんこんと湧き出し、たちまち泉ができてしまいました。 

 

 

この話しは、日本書紀古事記には載っていない。

またしても、記紀にはないヤマトタケルの伝説があった。

 

尾張戸神社にまつわるヤマトタケルの伝説も、

幡頭神社にまつわるタケイナダネの伝説も、

どちらも記紀には載っていないから「また」なのです。

 

 

 

この井戸が第3チャクラの場所なんだろうか?

 

でも、ヤマトタケルに関係してるだけじゃなあ。

 

これまでのキーワードは出てこないし、これといったエピソードもない。

 

近づいた気がするけど、ここではない。

 

 

 

 

もっと探せばヤマトタケルに関係する、別の場所があるんじゃないか?

 

近づいている気がする、という感覚を頼りにさらにこのあたりを探してみた。

 

すると、あ!ここ!という場所が見つかった!

 

 

それが、ここ「入海(いりみ)神社」だ。

 

↓入海神社

*写真はこちらよりお借りしました。

 

最初に気になったあの東浦町の観光パンフレットをよくよく読んでみたら

ヤマトタケルの奥さん「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」を祭神とする

神社があると書いてあり・・

 

その由来となる話しが、ここしかない!と思わせるものだった。

 

 

 東浦町観光協会HPより抜粋 <弟橘姫と入海神社> 

 

日本武尊が東征する時に、紅葉川から船に乗って出発し、

相模の海で嵐にあった時に、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が

入海して、海が静まり、その媛の櫛が紅葉川に流れついたといわれる。

 

 

 

 

弟橘姫の櫛が流れ着いた話しは、関東中心にいくつかの神社に残っているものの、

弟橘姫を主祭神一神とする神社は入海神社だけだそう。

 

東浦の民話では、櫛が流れ着いた場所は緒川の海岸とされている。

*詳しくは東浦の民話に載ってます。

 

それに、弟橘姫は緒川出身なんだそうで。。

 

なんと!

 

弟橘姫と於大の方は、同じ緒川の出身(生まれ)だった!

 

この偶然とつながり方、すごい><

 

 

 

 

 

 

 

そして、入海神社には不思議な石「夜泣き石」「うなり石」の伝説も残る。

 

弟橘姫のお父さん「忍山宿禰(たけおしやまたりね)」が、娘の死を悲しみ

彼が亡くなった後も墳墓から「泣き声がした」と伝わる。

(夜泣き石の所以らしい)

 

うなり石の方は、非業の最期をとげた「水野信元」の恨みの声と言われている。

 

2つの石はそれぞれ、「夜泣き石」は入海神社に、うなり石は「かきがら地蔵」と呼ばれるお地蔵様のそばに置かれているそうだ。

*こちらも詳しくは東浦の民話へ。

 

 

 

さらに、まだある。

 

入海神社の下は「入海貝塚と呼ばれる縄文時代早期後葉(約7000年前)貝塚で、貝塚からは縄文土器を中心に、石器・骨角器などが出土している。

 

神社の下に古代の遺跡・・この構図、まただ。

 

しかも入海貝塚の土器は「入海式土器」と呼ばれ、東海地方の縄文時代早期後葉の基準土器になっている。

 

つまり、入海貝塚は、尾張知多の代表的な縄文遺跡ということだ。

貝塚に残る貝の量もすごいらしい。。

 

 

この地には古代、一大集落があった。

 

 

ということは、位置的には当時の海人族とのつながりもあっておかしくないけど・・

尾張氏の名前が出てこないのはなぜだろう?

 

 

 

 

 

東浦の民話の中に、尾張氏らしきエピソードはないだろうか?

 

尾張氏の痕跡を見つけたくて探していたら、

 

まさかの「道場法師」の話しを見つけたw

 

 

こちらの話しでは、道場法師は「緒川村」で生まれたことになっている。

*こちらも詳しくは東浦の民話へ。

 

 

蛇を巻きつけていたり、雷の申し子なのや、そのほかのエピソードは

全く同じなのに生まれた場所だけが違ってる。

 

 

このつながり、なんだろう?

 

でも、この不思議なつながりが、緒川が第3チャクラの場所だよ、と

言ってる気がする。

 

 

 

結局、尾張氏ゆかりの何かは見当たらなかった。

 

けれど、

 

縄文遺跡、不思議な石(磐座か?)記紀に載らないヤマトタケルにまつわる話し・・

 

これまでのキーワードはいくつもあって、亀城と羽城も近くにあったし、

 

さらには道場法師まで登場。

 

もうこれは、入海神社が第3チャクラの場所でいいんじゃないかと思う。

 

 

ということで、

 

第3チャクラは入海神社で決定です!

 

 

 

↓地図上で見るとこんな感じになりました。

 

残すはあと1つ!

 

 

さあ、怒涛のラストスパートです。

 

最後の1箇所はどこにあるのか?

 

つづく